2014年6月25日水曜日

2014年6月25日(水)

夕方のヘルパーの仕事で、買い物をしている時でした。
不意に名前を呼ばれ振り向くと、若い青年が立っていました。
私には思い当たる人が浮かびません。でも、何処かであった様な…。
「ケンジです」(仮名)
私は「え?」と、言ってしばらくした後、驚きの声をあげて見上げました。
私がかつて家政婦として7年前まで7年間ほど通っていた先の男の子が、立派な青年になっていたのです。
私が働いていたそのお宅は、青年になった男の子がまだ小学生で、私が雇われた理由には、お母さんのご病状がありました。
出会った頃は、まだ下の女の子がオムツをしていた頃です。
その家の中の一切をしていた私にとっては、思い出深いお宅でもありました。
子供がいない私にとって、初めは子供達とは距離を置く関係でしたが、奥様が亡くなると、事情は変わってきます。

遠足や運動会のお弁当作りは勿論、学校の持ち物や勉強、ピアノの送り迎えなどもありました。
お雛様や兜を初めとする季節の節句の行事も大事にしていました。
子供達の友達が遊びに来てはその相手もしましたし、何よりお母さん達には内緒の秘密ごとを、年も立場も母親とは違う中間的な存在の私に話す子供達の様子は可愛かったです。
特に女の子はおませで、小学3年生にもなると、「初キスは観覧車の中が良い」などと言うんです。恋話は年齢関係ありませんね。
しかし良い事ばかりではありません。
自分の子供でない事でのしつけの仕方の距離の取り方がわかりませんでした。
自分の子供なら食事のマナー等厳しくするところを、私は夕食を出したら帰宅して居た為、兄妹揃ってテレビディナー。
旦那様も社長と言うお立場から帰宅が遅い後ろめたさもあって厳しくはできず、それがジレンマでもありました。

こんなこともありました。
小学校3年生にもなると女の子は自分の好みもハッキリだし、それまではフワフワな洋服を着せられていたのが、ストリート系の迷彩柄のミニスカートが着たいと言いだしました。
彼女の気持ちは分かるものの、単純なこの様な事も私の勝手には出来ません。
だからと言って、女の子の気持ちが父親にも分かるはずもなく、父親としては、やはりピンクやリボンのついた洋服を着て欲しい…。
お兄ちゃんに関しては男の子だと言う事で、父親との関係性がとても良好でした。
私の心配と言えば、小さい時からケンジ君は「男である、兄である」と言う気持ちから「病気の母親を守らなければならない、妹を守らなくてはならない」と言う我慢は健気で、それをどの様にフォローして良いのかも分からないまま彼は中学受験を控え、勉強に切羽詰まっているその様子は心痛かったです。

それを懐かしく思い出していたところへ、まさかの話が舞い込んできました。
私に家政婦として復帰して欲しいと言う話でした。
ケンジ君のお宅ではなく、ケンジ君のおじい様のお宅の専属家政婦としてでした。

現在、私はヘルパーとして障害者宅で仕事をしていますが、そのヘルパーの仕事に考えることもあり、一度引くべきかと思っていた矢先の申し出に、私は一も二も無く快諾しました。
労働時間や金銭的な事を考えると、ヘルパーの方が効率が良いと言う事は確かでしたが、「人の縁」と言う事を感じた事、そして、私が一級だと認める人物と関われることに金銭的な事だけでは判断できないものを感じたからです。
現在の仕事を今月で清算し、新しく始める仕事に、今、自分の人生の転機かと感じています。
今日の水曜日を私は忘れないと思います。



筆名:はちみつびー  年齢:46  都道府県:大阪

2014年6月18日水曜日

2014年6月18日(水)

孫が大学受験に失敗したらしい。
誰も何も言わないが家の中の空気が重くなったことでわかった。
ここ六年間、自律神経のアンバランスで体調が思わしくない私になるべく悪い話は耳に入れないよう息子夫婦が気を使っていることは、よくわかるし感謝しているが、こんな状態で良いのだろうかと考え続けていた。
息子が出かけ、下二人の孫が出かけ、息子の妻も「今日一日よろしくお願いします」と言って出かけたある日、新聞を読んでいると、かんじんの孫が二階から下りて来た。
リュックに何やら詰め込んでいる。
向こうのテープルにはJRのチケットが入っているのが見える。
「あら、もう試験は終わったんじゃないの」
「うん。二次を受けに行くの」
「そう。じゃあ、まだ、希望はあるのね」
「いや、ちがう。二次にはボクの進みたい部は無いけど、いま予備校へ入る為の勉強をしているから、その関連で受けてみようかと思って」
「そう。今回は一泊なの?」
「うん」
「一度くらいの浪人でビビリなさんな。長い人生でこのことがプラスになることがきっと多くあると思う。おばあちゃんは、その時、死んでいるでしょうけど」
「そんなあ」と初めてにっこり笑う。
「試験場に入ってどう感じた?皆さんの目がちがうでしょう?」
「うん。ずっとバスケットばかりやって、キャプテンだったし…ふざけてもいたし」
「今年は、勉強のみに力を入れなさい」
「うん。そうする」
反省があり、どこの大学を受験し、どこへ進み、将来は父親とはちがう、こういう道を歩こうと思う。とその気持ちを話した。
よくここまで話してくれたと思った。
今日は、年金の無い月だが気持ちを込めて「ほんとうはもっとあげたいのだけど、おばあちゃん病気だし貧乏だから…」
「あ、おばあちゃん、そんな。いいのに」
「持っておきなさい」と渡す。
「じゃあ、行って来るね」
「ちょっと待ちなさいよ。一緒に写真を撮ろうよ」
私の趣味で三脚を立てる。
「よく撮れたじゃないの。この腕もまだ捨てたものじゃないね」
「ウフフフフ、じゃあ」
「ヤワな男になりなさんな」と後から声をかけると、にこっと笑って振り向いた。
孫と一緒にいた様子、会話を息子にメールで知らせる。
”どうも。何というか。あ。あ。あ。”
その後すぐ”小使いは持たせてある。苦しいおばあちゃんのおさいふこそ息子に知らせてほしい。予備校ではお金が要るがその時はよろしく”
息子がすっかりとけて来た。
”いろいろ要らないお世話だったかもしれないけど…小使いを渡した時、少しとまどった様子でまた二階へ行った。どうも、お金は置いて行った様子です”
”メールの様子からいろいろわかった。やっぱりあの子はまともだった。あまり喋らないけど”
”そう。いま、私も何と打とうかと考えてたけど、ほんとあの子はマトモね。長い目で見て行きましょう(絵文字・花束)”
息子からの送信メールはもう無かった。
夜、息子は帰らなかった。
毎年、年度末のこの時期は特に忙しくて、真夜中に帰宅したり、泊まったりしている。
なるだけ私も体調の悪いことは言わないよう、気になることも訊かないようにしているが、今回のことは73才の婆さんの出番があったのではと喜んでいる。
私も息子も、息子の妻も浪人をしていない。
孫が一番、悩んでいるはずだ。
今晩は孫が帰って来る。
息子もきっと帰って来るだろう。
家の空気も軽くなって、話しやすく、動きやすくなっていることを祈るのみの水曜日の朝。
午前中にお医者へ行って来よう。
まだ、寒いけど今朝は晴れた庭の梅の花が満開だ。
今朝まで全く気がつかなかった。



筆名:なし  年齢:73  都道府県:なし

2014年6月11日水曜日

2014年6月11日(水)

先週からさきのばし続けていためんどうな仕事がひとだんらくして、いつもより少し早く会社を出ました。
とても月がきれいな日だったので、思わず恋人へメールを送りました。
「おつかれさまです。なんでもないんですけど、月がきれいですね」と。
すぐにきた返信「おつかれさま。おお、すごいね。天気良かったもんなぁ」。
「月がきれいですね」のことを「あなたを愛しています」とだれかが意味を付けたから、なんだか気軽にだれにでも言えなくなったけど、この人ならそうとらえてもらってもかまわないかな、と思って、ちょっときんちょうして送ったけど、あの人はどう思ったのでしょう。
次の週末、月が見えていたら二人で歩く帰り道できいてみます。
どうか、あなたとその好きな人が良い週末を過ごせますように。



筆名:なのはな  年齢:21  都道府県:福岡

2014年6月4日水曜日

2014年6月4日(水)

私の水曜日。
私の水曜日の始まりは朝起きること。
私のママは火曜日が夜勤だから朝起こしてくれる人は、一人もいない。
だから二度寝してしまう。
二度寝の夢からさめたのはいつも起きる時間より30分おそい7時。
いそいでしたくをし、学校へ行く。
水曜日は私が担当の委員会の日。
だから学校についても用意はさっさとすませ、委員会に行く。
次に授業が始る。
水曜日は私の得意科目に入っていない社会がある。
ダルーく授業を受けていた。
学校が終わるといつもいっしょに帰る友達と帰る。
あっちで話がもり上がってるのに会話に入れない。
家に帰ると、ため息一つと「つかれたー」の一言。
今週も大変な水曜日だった。



筆名:にいな  年齢:11  都道府県:長崎